科学と「私」

7月のコーステップ立ち上げ以来、講演、学会発表、授業などが続き、人前でお話しするための読書ばかりしてきた。しかし、昨日の授業が終わり、ちょっと気持ちに余裕がでたので、久しぶりにインプットのためだけに、本を手に取った。

昨日の授業で、石村さんが取り上げた「世界は愛でできている」。
オランダの科学技術博物館で働く方が著した本。

今日は、おろそしく個人的な感情を記してみたい。


今年、春の初め、日本科学未来館で行われた
『恋愛物語展 − どうして一人ではいられないの?』を見に行った。
正直に言うと、ちっとも心に響かない企画だった。
愛とは関係ないものを愛と結びつけ、科学とは関係のない展示にお金をかけているように
感じられた。マスコミ向けに開催された特別公開を見に行ったので、
帰りにお土産をいただいたのだが、その中に入っていた写真集がなぜか、とても不快だった。違う文脈で開いたら、そのような感情は抱かなかったように思うのだが、
未来館で行われる科学と愛を結びつける企画という文脈でみたときに、
なぜ、この写真家の、この写真集なのかという説得力がなく、愛という非常に親密で
個人的な関係性を明け透けに晒す写真を、どう解釈してよいのかわからなかった。

つまり、あの展示企画は、私にとっては、科学と愛を結びつけることに失敗した、
不必要に「おしゃれ」な企画に見えたのだった。




もう、何週間か前になる。
北大の紅葉が、まだ盛りの頃、異性の同僚とたまたま帰る時間が重なった。
19時すぎだったろうか。とっくに日は落ちていた。

理学部の外に出たとたんに燃えるような赤や黄に染まった木々が目に入った。
特に外灯が照らしているわけでもないのに、木の葉は、闇の中に浮かび上がって見えた。

突然、私は胸がどきどきして、その同僚の横にいるのが恥ずかしくなった。
でも、居心地が悪い一方で、今自分が感じている情景を言葉にして伝えたい、
分かち合いたい。そういう不思議な気持ちがした。


今日、「世界は愛でできている」を読んだら、そのときのことが、ふと蘇ってきた。
あのときの精神状態って、そう恋に落ちる直前の「ときめく」っていう状態ではなかったろうか。しばらく離れすぎてて、忘れていたけど。
昔は、もっと簡単にそんな風にどきどきしてた気もする。

あのときの私は、「じゃあ、また明日」って帰ってしまったけど。
ずっとずっと昔の自分だったら、「紅葉があんまり綺麗だから、ちょっと散歩して帰ろう」と言ったかもしれない。

あのときめきは、美しい紅葉に気持ちが高ぶったから。
夜の大学は、暗くて静かで、他に誰もいなくて。
そんなときにふと隣にいる人が異性だった。
きっと、私の感情は瞬間的に混乱をきたしたのだろう。
突然にもどきどきして、異性が隣にいることが恥ずかしくなった。


「世界は愛でできている」は、サイエンス、心理学、統計、ジェンダーと科学的な視点で「愛」を様々に眺めてみている。そうして、通り過ぎていきそうだった日常のひとこまをフラッシュバックさせ、恋愛が状況と組み合わせの偶然で、理性が感性に転んだと感じたときに起きる化学変化で、最初はサイダーの泡みたいに始まることを思い出させてくれた。ついでに、自分が、なんか気が抜けた炭酸だったってことも。

一冊の本が、心にさっと風を吹き込んでいったような、気持ちがしました。