書評のワザと効果

細々とライター家業を続けている難波にも、ときどき書評の依頼が来ます。某雑誌の来月号掲載の書評を頼まれて、週末は、「おすすめの本」を探していました。

今時、書評は、ブログの主要なネタですし、タダで読めるよい書評がネット上にざくざく転がっています。そんなご時世に、有料の雑誌の一部に掲載するということは、読者からお代をいただくということですので、それなりの価値のあるものを書かないかんなあと、腹の下に力を入れてみたりもします。


そんなわけで、「おすすめの本」を検索していたところ、「はてなブックマーク」で話題になっている本を見つけました。水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」です。


梅田望夫さんのブログには、10日朝、私が見たとき、470以上のブックマークがついていました。


わたしが、この騒ぎ?を知ったのは、書評で(も)有名な小飼弾さんのブログ404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるときです。小飼さんは、梅田さんのブログで、この本を知ったそうです。


小飼さんのブログでは、冒頭に
「まずは本書の存在を教えてくれた、梅田望夫に感謝したい。」
「おかげでAmazonが在庫を切らす前に注文することが出来た。」
「日本語で何かを成しているものにとって、本書をひも解くことは納税に匹敵する義務である」

と、畳みかけるように書かれていて、これは、本を「おすすめ」する記述としては、相当に強力です。



水村さんといえば書く本、書く本、賞を取り、海外の大学で日本近代文学を教える作家さんなのですが、寡作なこともあり、文芸書をよく読む方でないとご存じないかもしれません。

わたしも、読書範囲が狭いので、自分が講談社の文芸局に勤めていたときに彼女の「私小説 from left to right」が野間文芸新人賞をとらなければ、知らなかったかもしれません。


この本の初版が何部かは知りませんが、文芸作家の初版から考えると、ブログの影響で、さっそく在庫切れになるかもと、すぐアマゾンで確認してしまいました。(10日朝現在、3〜4日で発想してもらえる状況でした)


さて、この騒ぎ?は売れ行きにどのくらいの影響があるのか、出版社に聞いてみたいです。


CoSTEPでは、昨年度科学図書の紹介を、サイエンス・ライティング授業の素材として取り入れていました。受講生の方が推薦する科学の本は「おすすめ科学の本」として、CoSTEPサイトで読めます。


事の発端は、梅田さんの書評でしたが、自分の活動に引きつけて本を紹介しているところで、小飼さんの書評の方が切迫感があり、「読まねば」感が高まりました。

「よい書評」がなにかについては、人それぞれ考え方が違うでしょう。
「きちんと批評していればいい」という人がいれば、「とりあげる以上、とにかく、読者が読む気をなくすような書評はよろしくない」とか。私は、後者です。


騒ぎに気がつき、検索したおかげで、「書評のワザと効果」について勉強になりました。

IC

ICC(NTTインターコミュニティーセンター)というのがあります。
西新宿の東京オペラシティータワーに。


InterCommunication
という雑誌を発行していました。


リニューアルして、書店売りする雑誌から
『IC』というフリーペーパーに変わりました。


2008年秋号には、「40人のキーワード」という特集があり、
今をときめく福岡伸一さん始め、我がCoSTEPのスタッフ
渡辺保史さんのコメントが掲載されています。

よ!渡辺さん、「有識者」でっせ!!


中には、あー、この人、今はろくに勉強も研究もしてないんだなーという有識者もいらっしゃいました。
こういう短い論考だと、よりそういうのがはっきり出ちゃいますね。


おもしろかったのは、ライター・編集者の速水健朗さん
コミュニケーションデザインについて、最重要と思われるキーワードとして
「社会資本」をあげており、
「赤塚(不二夫)はタモリという弟子を持ったが、タモリは弟子を持たなかったのだなあ」と書いています。


つまり、「社会が後進を育てることを止め、新しいことを見出すことに注力しなくなったのだ」と。

そりゃあ、ロスジェネとか自分のことで精一杯で、後輩どころじゃないよと、理由はいろいろあるにせよ、確かに、少子化もその表れだし、私たちの世代(30代)、もう一つ上の40代も、いつまでも自分探しに余念がなく、社会全体、自分より若い人を「育てる」ことがおろそかになっている。


もう一つ速水さんが答えている、コミュニケーションに関係なくこれからの世界に重要なことは、「コンテンツに金を払う」でした。もとフリーランスとして、これは、ほんとに、切実と思います。


渡辺保史さんが重要としたのは、「つながり」。
肝は渡辺さんに聞いてください。

初音ミクNight


わたし、初音ミク
札幌で生まれた人気者なの。


みなさん、サイエンス・カフェって知ってる?

科学やテクノロジーのお話しを、気軽に楽しめるんですって。

10月12日、ミク、札幌でサイエンス・カフェにデビューするのよ。

ミク、歌は得意だけど、おしゃべり苦手だから、代りにミクのお父さん、
クリプトン・フューチャー・メディア伊藤博之さんが話してくれるの。
ミクがおしゃべりが苦手な理由も、
伊藤さんが、話してくれるんじゃないかな。

「サイエンス・カフェ」ってライブは、ミクとお客さんと、みんなで一緒に
作るのよ。伊藤さんや、当日集まるミクのお友達と、いっぱいお話ししちゃおう!


みんな、来てね。


と、初音ミクさんがお話しするかどうかは、定かではありませんが、

初音ミクNight〜科学を超えた歌姫〜」
と題して、サイエンス・カフェを開催します。
ぜひ、いらしてください。


文責:ミクもといミホ



【イベント情報】

初音ミクNight〜科学を超えた歌姫〜
日 時:2008年10月12日(日)18:00 〜 19:30(開場17:30)
会 場:sapporo55ビル1階インナーガーデン(紀伊國屋書店札幌本店正面入口前)
ゲスト:伊藤博之さん(クリプトン・フューチャー・メディア代表、北海道情報大学客員教授
定 員:約100人(座席は約70人分となります)
参加費:無料(事前申し込み不要)
※コーヒー等の飲み物は、会場内のコーヒーショップでお買い求めいただけます。
主 催:「初音ミクNight」実行委員会 
協 力:北海道大学 科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)



 札幌で生まれた音楽制作ソフト、そして同名のキャラクターが「初音ミク」です。印象に残るツインテールの髪型とキュートな笑顔、透き通るような歌声で、多くのファンを虜にしています。そして、初音ミクの魅力は、それにとどまりません。音楽制作やわたしたちを取り巻くメディアのあり方にも影響を与えているのです。初音ミク現象とは何なのか、音楽と科学技術のスパイラルな関係、ユーザーがコンテンツを創り、それが広く流通するUGC(User Generated Content)やCGM(Consumer Generated Media)の可能性、地方発ベンチャーの誇り−。初音ミクの生みの親、伊藤博之さんをゲストに、会場の皆様の質問を交えて進めていきます。

3歳のお誕生日おめでとう

今日、10月1日でCoSTEPは開講3周年を迎えました。

昨日で、スタート時からのメンバー岡橋さんが退職され、
来月か再来月には、新しいスタッフを迎える予定です。

8人の専任教員のうち3人が入れ替わることになります。

この1年を振り返るとき、立ち上げからのスタッフが
3名いなくなったことが一番大きな変化でした。

新しく着任したスタッフがすぐに溶けこみ、
授業をパワーアップしてくれたことも
頼もしく感じています。

しかし、それでもなお、立ち上げからのメンバーが入れ替わることの
寂しさ、心細さをかみしめた1年でした。

前に進むことは、何かを失うことでもあります。



CoSTEPの立ち上げは、国が科学技術コミュニケーションを重要として、
その分野の人材育成にお金をかけることに決めたところに
端を発します。
この予算は、5年の時限付きです。
折り返し地点を過ぎました。


この間、科学技術コミュニケーションの人材育成や、科学技術政策の
予算に関わる重要な評価をする人たちの口から出た言葉
(私は聞いたわけではなく、読んだだけですが)は、
日本の科学技術コミュニケーションをどう捉えて何を評価しているのか、
わからないものでした。


「科学技術コミュニケーションによる利益は市民が享受するものだから、
その費用は市民が負担すべきだ」という趣旨の意見も何度も聞きました。


はたして、本当にそうなのでしょうか。
科学技術コミュニケーションのための負担は「市民」が一方的に負担させられるものなのか。


そりゃあ、広い意味では、誰もが市民です。日本国民すべてが「市民」です。
しかし、そういう意味ではなく、立場、コミュニティーで考えたとき、
科学技術コミュニケーションによって、利益を得るのは、まず第一に
科学者たちなのではないでしょうか。


そして、科学技術コミュニケーションは国全体に利益をもたらします。
利益をもたらす以前に、これがないことには、科学と市民をとりまく
社会に、解決しない課題が無視できないほどにたまり、科学をどう我々を
幸せにするものにしていったらよいか見えなくなるから、科学技術コミュニケーションが
必要だということになったのではないでしょうか。


今、科学技術コミュニケーションに関わる多くの人たちが、
3年、5年というビジョンを持って働ける環境にありません。
2009年3月、5年の時限付きで科学技術コミュニケーションの人材育成のために
投じられた予算は、打ち切りになります。
それと同時に、科学技術コミュニケーションという言葉も聞かれなくなるのでは
という不安すらあります。


その後、この分野を自分の使命として牽引していくところは、
どこになるのでしょうか。

予算を託された、早稲田、東大、北大は、どれだけ、自分たちの
責任を認識しているのでしょうか。


3歳の誕生日に、3歳の子供が考えるには、あまりにも大きな課題です。
人間の場合、子供が3歳の時、その子の未来は、
産み落とした親も一緒に考える責任があります。


文責:難波
*この文章は、CoSTEPを代表するものではありません。

必要な情報はどこにあるのか

2004年12月、福島県の県立病院で、出産中の女性が失血死しました。


私事ですが、先日出産した身内が、実に2リットル以上も出血しました。
予見されていたので、自分の血液を採り貯めており、その輸血で存命しています。


出産ではまれに、大量出血することがあります。


今を去ること30年以上前なので、原因は本人も忘れたと言っていますが、私の母が出産するときも大量出血で、一時危篤状態になったそうです。


「まれ」「ごくまれ」といわれるようなことが、私の近親者に2人もおきています。
一般にお産には、母子の命を脅かす、ある程度の危険があります。
予見できる場合も、できない場合もあるでしょう。
危険が予見できたとしても、予見できない経過のせいで、予見通りに進まないこともあります。
専門家にも、一瞬の躊躇や観測違いはあるでしょう。

それでも、我々は、病院で、助産所で、専門家の介助を得て、出産します。



冒頭の県立病院の産科医師は、2006年、業務上過失致死の疑いで逮捕されました。逮捕の時から、今朝の判決前のニュースまで、テレビでは医師の顔や歩く姿がくり返し放映されています。


そして今日、医師は、裁判で、無罪となりました。


多くの医師たちがこの逮捕について非難の声を上げています。
事前に警察から情報を得ていたマスコミが、逮捕の時に手錠をかけられた医師の姿を大々的に報道したことから始まり、マスメディアに対する医療界の不信も深刻です。


朝のニュースでは、遺族の無念の声が聞かれました。
しかし、被告の声はまったく伝えられないですし、弁護士の肉声も聞けませんでした。


日経メディカルオンラインに、被告主任弁護人のインタビュー記事が載っています。http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t020/200808/507534.html


裁判の争点が簡潔にまとめられています。少し難しいところはありますが、この内容なら、専門家ではなくても理解できると思います。


どんな情報が、どういう形で提供されれば、我々は医療の過失について、医療の専門家と意義ある話し合いができるのでしょうか。そういう視点で、これから数日の報道を受け止めてみたいと思います。

俳句、第2期はじまる

この1年間、ずいぶん俳句について、まじめに考えてきました。


CoSTEPの受講生でも、札幌近郊外に住んでいる方はご存じないと思うので解説しますと、「科学と場所」をつなぐ「散歩でサイエンス」の後を継ぎ、昨年秋から、CoSTEP受講生はライティングの実習・演習の課題として
「十七文字のサイエンス」という連載を書き、北海道新聞で掲載していただいています。


森羅万象、一瞬の自然現象などを切り取る俳句は、科学と親和性が高い。俳句から喚起される科学の話を1000文字程度のサイエンス・コラムにし、同時に新鮮な視点で俳句も味わっていただこうという趣旨で始めた企画です。


おかげさまで好評。


いよいよ7月からは書き手が3期生から4期生に移りました。


残念なことに、札幌圏版にしか掲載されないので、CoSTEP受講生でも、札幌近郊にお住まいの方しか読むことができません。道新さん、Webに上げてくれないかなあ・・・。そうすれば、全国の選科生にも読んでいただくことができるのに。


4期生、1作目は「プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ  石田波郷」で、明るいところと暗いところでは、人間の視覚に鮮やかに映る色が違うという「プルキニエ現象」を取りあげました。
俳句の描いた情景が、科学の話によって、ますます鮮やかに浮かび上がる素敵な作品に仕上がっています。

2作目は「念力の ゆるめば死ぬる 大暑かな  村上鬼城」。発汗機能について話を展開し、季節感あふれる作品になっています。


現在、3作目を準備中。


科学の話について、取材をするだけでなく、作者について、句に描かれた情景についても念入りに取材します。


たった17文字からなる俳句。1句に描かれる世界はシンプルですが、その作者について調べ、他の作品をあわせて読んでみると、また違った情景が浮かんできます。
俳句界には、そんな風に俳句を解釈してはいけないという意見も歴史的に出ては消えたり・・・。勉強になります。


俳句についてご研究されている参考になるサイトもたくさんあります。


英語バージョン、仏語バージョンもあるこのサイトは、世界中の俳句ファンの役に立っているんしょうね。
http://www.big.or.jp/~loupe/



連載は来春までは続く予定。
全国のみなさんに読んでいただける方法を考えています。

ありがとう金森くん

氷コアと金森くんと記念写真


「どんなふうにびっくりしたかは、後ほど」と書いて、
1週間以上たってしまいました。すいません。

さて、極低温体験とはどんなものだったかを、お伝えします。

7月16日の午後、CoSTEP1期修了生にして、
4期、もう一度受講中の金森さんが、北大低温科学研究所内を案内してくれました。

北海道大学の低温科学研究所は、雪や氷、低温環境で生きる生物の研究施設として、日本だけでなく、世界中を見渡しても、非常に貴重な施設です。

日本には、低温環境を持つ研究所が、北大のほかには、東京の国立極地研究所と京都の総合地球環境学研究所の2カ所しかありません。大学で低温室を持っているのは北大だけ。

さらに、北大の低温室は、−50度の保存室があり、これは、世界でも北大にしかないものなのだそうです。

すごーーい!!  でしょ?


その貴重な低温室に入れていただきました。

まず、入り口で目についたのは、「酸素ボンベ」。
「ここを訪れた人で、これに注目する人は珍しい」と言われましたが、私の頭には、2年前、ハワイ島マウナケア山頂海抜4000メートルにある「すばる望遠鏡」を見せたいただいたときに、頭がぐるぐる回って酸素吸入したときのことがよみがえりました。

研究者は、時に、常人には耐えられないような過酷な環境で仕事をしています。これから潜入する極低温環境とはどんなところなのか、札幌の氷点下の冬にすっかり慣れた私も、酸素ボンベを見てドキドキしてしまいました。

低温室は、まず、入り口のところに、マイナス10度の予備の部屋があります。ここに入って、扉を閉めて、低温室に高温の外気が入らないようにします。


ここは、余裕です。札幌の冬は、時にマイナス10度を下回ることがあります。

次に、氷を観察する、マイナス22度の部屋に入りました。したからライトを当てて、氷を観察できるようなテーブルがあります。氷は長さ6,70センチの角柱か円柱状で、ビニール袋に入れて保存されています。氷コアと言って、1年中雪が溶けないようなところで積もった雪が長い年月の間に、上に積もる雪の重みで押し固められて氷になったものです。


このようにしてできた氷には、雪が降った当時の空気やホコリなどが含まれており、その当時の気候を知ることができる貴重な資料です。この氷を採りに、研究者は、一年中氷が溶けない高い山や、南極に出かけていっているのです。


低温室に入るために、防寒具を貸していただいたので、マイナス22度はたいして寒くありませんでした。厚めの軍手をはめている手の先が少しかじかむ程度で、体躯の部分は温かです。しかし、顔の表面が少しずつヒリヒリしてきました。特に鼻の頭。

ここで、氷コアを年代順にいくつか見せてもらいました。新しいものは、雪がまだギュッと固まっていなくて、白く濁った氷です。古くなるに従って、透明な氷になっていきます。


次に、いよいよ、日本が南極で深さ3000メートルまで掘ってとってきた「ドームふじ」の氷がしまってある−50度の低温室に入れてもらいました。

興奮して、矢継ぎばやに金森くんに質問を浴びせかけたら、「あまり勢いよく息を吸い込まないでください」と言われちゃいました。そうなんです。−50度の空気が一気に肺まで入ったら、肺を痛めてしまいます。そう考えたら、急に息をするのが怖くなりました。

氷の奥底から掘り出した氷コアは、かご状の水分子のなかに空気の粒が入っているクラスレートハイドレートと呼ばれる結晶構造になっています。

ドームふじがある場所は、年平均気温が−50度なのだそうです。−50度の環境で採ってきたものは、−20度でも、温かくなるとクラスハイドレートの状態が変化してしまうのだそうです。地上に上げられて、圧力がかからなくなると、それだけでも変化してしまいますが、−50度で保存すれば、変化のスピードをゆっくりにすることができます。


しかし、寒い。防寒具の手の先がしびれて痛くなってきます。顔のヒリヒリはますますきつくなってきて、これ以上ここにいたら本当に自分があるときパキンと凍ってしまうんじゃないかという気になります。

ドームふじで氷を掘削した人たちは、こんな環境の中でお仕事を続けているのか。私にはできない!

南極に行ってみたーいなどと軽々しく言っていたことを反省しました。


−22度と−50度の部屋で小一時間を過ごし、外界に戻ってきたときは、さわやかなはずの札幌の空気も、暖かく湿ったアジアンモンスーンのように感じました。
その日の午後は、体の中の方が、暑いんだか寒いんだかわからなくなって混乱しているような感じがずっと続きました。

金森くんは2005年にCoSTEP1期を受講しました。その頃から今まで、北大病院の院内学級に行って、病気と闘っている小・中学生に自分の研究を紹介する活動を続けています。


今回、この記事を書くにあたって、あらためて、なぜそんなことを続けているのか聞いてみました。
彼の答えはこうでした。


「研究というのは、たいそうなお金を使わせてもらっているのに、それを世の中に還元することが少ないなあと感じることがあります。何か、目に見えて人のためになることができるんじゃないかと思ったんです。病院の子供たちには、地球には、彼らの見たことがないとんでもない環境があって、そこでいろんなことがわかるんだというワクワク感を伝えてあげたい」


それは、伝わった?

「伝わったかはわからないけど、『僕は病院にいたから、こんなすごい話を聞けた』と喜んでくれた子がいました」


金森くん、私は、勝手ながら、北大に属するすべての人を代表して、お礼を言いたいです。金森くんほど、北大の研究を目に見える形で人のために使ってくれた研究者は、そうそういないと思います。




氷を非常に薄く削って作ったスライドを偏光板を通してみると、結晶がカラフルに色分けされます。雪が押し固められて氷になるとき、押されるほどに結晶が大きくなっていくそうです。