総理か県庁職員か

ありえなーい、ことがたくさんあるのは、さておき、
「県庁の星」(2006年)がおもしろかった。


先日、テレビで放映されていたのを見ました。


エリート地方公務員が、リゾート開発のビッグプロジェクトにのっかって出世しようとしてたのが、
傾き気味のスーパーマーケットに半年間出向させられ、プロジェクトからは外されてしまいます。県下の実力建設業者の娘との縁談もパーになり、織田君扮する県庁職員の野村君は踏んだり蹴ったり。


スーパーでもお役所のやり方をごり押しして、最初はまったく役立たずだった織田君が、柴咲コウとぶつかり合って(というのは、配役から考えるまでもなく想像がつくのですが)、変っていきます。
最後は、野村君、エリート役人の得意技、コツコツ勉強、ペーパー作成能力を駆使して、スーパーを改善し、県庁に戻っていきます。


そして県庁でも、当初関わりたかったビッグプロジェクトを県民の目線からもう一度精査して、土建行政に物申します。


見ごたえありました。
脇を固める役者が贅沢。
全編、織田君クローズアップですが、それでも細部まで、芸達者な役者を使っていました。
ディテールが贅沢。
県庁に陳情に来るNPOの人たちに、ペラペラの黄色い揃いのウィンドブレーカーを着させるあたり。
あるある。うちにも、あります。



柴咲コウの家庭環境とか、織田君が土建業者の娘と破談になるとか、織田君の提案する弁当が売れないとか、そういう「お約束」を非難するのは間違っています。
大衆に向けにメッセージを伝えたいときは、ストーリー展開や登場人物の関係など、余計なことを複雑にわかりにくくしては、「メッセージ」に集中できないからです。
「お約束」だから、みんな安心して、織田君の表情を堪能し、世の中のステレオタイプを確認し、そして、「政治は人の上に人を作り、人の下に人を作る」というメッセージや、「今、目の前の問題から逃げるやつは、人生すべての問題から逃げるヤツだ」というメッセージを味わうことができるのです。


「熱い」ことにかけて、織田君ほど自分のモノにしている役者はおらんのではないかと思いました。


一方で、総理になっているキムラ君。
今日、初めて拝見しました。


つまんなかったら、どうしよう。
かっこ悪かったら、どうしよう。
とドキドキで見ました。
どうもせんよと、お思いでしょうが、何かにがっかりさせられたくないじゃないですか。平日の平和な夜を。


キムラ君、「僕は感情的にはなりませんよ」と言って、総戸数30軒あまりの漁村の漁業補償で、前総理の決定を覆して国の責任を認め謝罪していました。


これはこれで、かっこいいし、この柔らかさがキムラ君の魅力なんだと思うのですが、この勝負、県庁の織田君に軍配上げます。

脇役陣のゴージャスさは、いい勝負している。
でも、ドラマのできの違いで負けてる。映画とテレビドラマの違いかもしれません。
たとえば、キムラ君と寺尾聰がかけたり外したりするメガネも、イマイチ、演出として効いていません。映画の方が芸が細かいのは仕方ないか。


「県庁の星」も、今日の「CHANGE」もどっちも、主人公がコツコツ調査して、最後に役所の決定を覆そうとする設定でした。鶴の一声でひっくり返したキムタクと、県議会で異議を述べたけど、ひっくり返すのは難しそうなまま終わった織田君。


まったく個人的に、織田君の方がかっこよかった。
もう、どうしようもなくみんなの利権のバランスの上に成り立っている社会を、どっかで変えられると信じて、あきらめない、やれるだけのことをやる野村君に会いたい。

いや、すべて架空なのだから、いるはずないんだけど、県庁職員の野村君、もしかしたらどっかにいるかもしれなくて、国の役人になった旧友を思い出し、久しぶりに会って話を聞きたくなってしまった。


お読みになってご気分を害することはないでしょうけど、ゴメンね木村君。
どちらにしても、「明日、仕事がんばろう」と単純にいい気持ちにさせてくれる織田君も木村君も、たいした役者さんです。