働く人と働かない人

いきなりだが、参加型社会なんて言うが、参加の権利はどう保障されるのだろう。
参加しようにも、アクセシビリティーはどうなっているのか。公共交通も施設も社会のシステムすべてが、健康で生産性の高い成人男性を中心に作られている。北大に通うための地下鉄の駅、バリアフリーはどれほど達成されているのかな?

構内だってそうだ。階段をあがれない人、とても背が小さい人、目が見えない人には危険がいっぱいで、不便この上ない。子供を連れてくれば、よくわかる。おおよそ健康で単身で行動できる大人のことしか眼中にないようだ。転落の危険がある場所。ベビーカーでは入れない場所。授乳やオムツ換えの場所はない。


ソフト面ではどうだろう。
授業は様々な人の参加の権利を等しく保障できるのか?

CoSTEPの授業は、社会人でも受講できることをうたっている。
でもちょっと待てよ。
社会人って、変な言葉。社会人って何だろう。
大学人が使う社会人というのは、学生じゃないってことぐらいの意味だろうか。
いや、たぶん、(大学とは違う)一般社会で働いている人っていう意味なんだろう。
一般には社会人って、仕事して自分で生計立てている人、という意味だろうか。

この週末、3日(祝日)、4日(夜)、5日(土曜日)と3日連続で授業が行われた。社会人の受講生にとっては、体力的にもきつかったことだろうと思う。それでも、少しでも平日授業の負担を減らそうと考えて、このようなカリキュラムを組んだ。「社会人」の受講生の皆さんは、どう感じただろうか。


一方で、このスケジュール、参加しにくかった受講生もいたに違いない。狭義の「社会人」でない方たちは、この週末、学校や会社が休みになり、自宅にいることを期待されなかっただろうか。季節柄、スポーツの大会や学芸会など、学校行事に参加しなくてはいけなかったのじゃないだろうか。

主婦は、「社会」や学校が休みの祝日や土日こそ、サービスを期待される。「働いている人」が「働いていない」ときに「も」、「働いていない人」は働かなくちゃいけなかったりする。

「働いている人」でも学べるカリキュラムが、実は「働いていない」人にとっては学べないカリキュラムだったりするのではないか。
現に「生産性の低いワーキングマザー=ちゃんとした社会人じゃない」私は、この3日間の授業にはほとんど参加できなかった。日曜・祝日は、普通の保育所はお休み。驚いたことに、北大の経営する保育所では、「土曜日はなるべく預けないで下さい」と、堂々とおっしゃっていた(それもあって、うちは利用していませんが)。

あちらを立てれば、こちらが立たず。
すべての人に等しく教育の機会を!などというのは不可能だろうが、この社会が「働く人」と「働かない人」を分けて生産性を追及していることが、勉強の機会の均等も邪魔しているような気がする。

みんなに勉強の機会があって、働く機会もあって。
参加型をうたうからには、そんなことも考えていきたい。