そりゃないんじゃないの?

昨日、セントルイスに到着してから、始めて参加する巨大なAAASの年会の全体像をつかむべく、歩き回っています。

昨夜は日本からご連絡して、面会のお約束をいただいていた、リーン・フリードマン先生(サイエンス・ライティング)と夕食をご一緒しました。リーン先生は高校卒業後、お金がなかったので進学せずに、秘書の仕事をしていらしたそうです。その後、30歳ぐらいになってから大学に進学し、海洋生物の勉強をし、卒業後、パブリックリレーションの仕事に就きました。折りしもコンピューター産業が爆発的な飛躍を遂げた時期で、コンピューター関係の仕事がわんさかやってきて、実力と経験を蓄えていったそうです。その後、結婚と転居に伴い、会社を去ることになり、転居先で今度は自分でパブリックリレーションの会社を立ち上げ、以来、自営業のサイエンスライターとして、活躍してきました。パブリックリレーションの仕事は、今後日本のサイエンスライターの活躍場所として多いに期待できる場所だと思います。書き手とクライアントが出会う場所を、日本で作っていかなければならないと感じました。

今朝からは、年会に参加し、とりあえず、様々な種類のミーティングをのぞいてみました。それぞれのミーティングがだれのために何の目的でやっているのか、大体つかめました。リーン先生からは、暇があったらプレスセンターに行って、みんながどういう話をしているか立ち聞きしておいでとすすめられたので、それも実行しました。

ワークショップというカテゴリーのミーティングは、ほとんどが、現在進路を模索中のポスドクや大学院生のためのものでした。就職の面接試験ではどうふるまったらいいか。差別的な質問をされたらどうしたらいいのかなど、具体的なアドバイスが行われていました。先生たちがやっているシンポジウムと平行して、若い世代への具体的な支援活動が行われていることが印象的でした。

私はずっと出版業に関わってきたので、最も楽しかったのは、出版社や団体が発行している書籍やパンフレットを展示してある部屋でした。
子供向けの科学図書やパンフレットを作っているある団体のブースで、どこから来たのかたずねられたので、日本だと答えると、「明日の私達のミーティングで、日本とアメリカの科学コミュニケーションについて、ディスカッションしない?」といきなり、ちょっと攻撃的な感じで言われました。ところが、「日本のカレッジでは、科学は英語で教えているの?」と聞かれたので、「ほとんどの授業は日本語だよ」と言うと、突然態度を変えて。「信じられなーい! いまどきサイエンスを英語で教えないなんて!」とあきれられました。さすがに横にいた女性が、「そんなことはないんじゃないの」ととりなしてくれましたが、その団体の女性は、もう、日本の科学コミュニケーションには興味がなくなった様子で、別の訪問者の対応に行ってしまいました。

大学でほとんどの授業が日本語だけで行われていることの是非はおいといても、世界中のだれもが、母国語で勉強する権利は尊重されなくてはいけないと思います。言葉は文化と不可分です。言葉を失うということは、文化を失うということです。日本も他国の言葉を侵略した過去があるので、大いに反省すべきですが、科学を日本語で勉強するのは、当然だと思います。英語じゃなきゃコミュニケーションできない!? そりゃないんじゃない?