天使なんかじゃない

天使なんかじゃない

1990年代に大ヒットし、今も多くの読者をひきつける少女マンガがある。
舞台は、高校生徒会。主人公は等身大の女の子。舞台設定や登場人物の人間関係に思春期の少女たちが強く感情移入して読むことができる。


「等身大」の女の子って、背が低いかもしれない、高いかもしれない。そんなに美人じゃないかもしれない。ちょっと太目かもしれない。胸が小さいかもしれない。うそもつくかもしれない。でも、そこには、「そういう、そのままの君が、君の人生の主人公なんだよ」という強いメッセージが存在するように思う。そして、この漫画は、世代、性別をこえて読みつがれているという。


ところで、先日、毎日新聞『東北大院生「サイエンスエンジェル」始動 女性科学者、育成狙い』の記事が出た。
その記事を見たCoSTEPのスタッフが、「やっぱりそう」という呟きを漏らしていた。「女性に期待されるのは、コンパニオン的な役割なのよね」。
Webの記事だけではわからないが、新聞紙面には、きれいにお化粧して、オシャレした若い女性研究者が少しはにかみながら(主観的な感想です)、出前授業に参加している写真が掲載されていた。


一方、秋田大学では、文部科学省「女子中高生理系進路選択支援事業」として、「ロケットガール養成講座」を開講するという。
このポスターを見てCoSTEP受講生の立花さんが問題提起をしている。開講をお知らせするポスター(あくまでも開催を宣伝するもので、受講者や講師を募集するポスターなのかどうかは、よくわからない)には、ボディーコンシャスな白いスーツに身を包み、体をくねらせモデル張りにポーズを取った若い女の子(主観的な感想です)のイラストが描かれている。
この二つの企画。話題性が高いということで、成功なんだろう。でも、企画も、広報も、マスコミの報道も、みんな男性の考える「女の子・女性」の枠で行われていることに、CoSTEPのスタッフや立花さんは、女性の理系進学は応援するが、一言つぶやかずにいられなかったんだろう。


金曜日の夜、理学部の裏口を出たところで、20代後半と見受けられる男女が、赤ちゃんを挟んで言い争いをしていた。金曜の夜から土日の、週末の子守の調整がつかない様子だった。横を通り過ぎる瞬間耳に入ってきたのは、父親が「このままお前がおとなしく帰れば、明日の午後は俺が面倒見てやるって言ってんだろ」とすごむ声だった。その後、父親は建物の中にもどっていき、赤ちゃんを抱いた母親は途方にくれたように、駐車場を歩き回っていた。
現実はきれいごとじゃない。きれいごとじゃない現実の中で、女子高生は研究者になっていくのだ。


天使なんかじゃない!」
でも、主人公になれるし、研究者になれる。

女の子たちに見せてあげたいのは、そういう社会だ。