高等教育と科学技術コミュニケーション

高等教育を担う教員にとって、インドクトリネーション(教え込み)一本槍を越えて、「対話型」「シアター型」の教育を実践する能力が求められているという主張が、北大やUCバークリーの事例を元に展開された。
最後に述べられた「科学コミュニケーションは科学の精神そのもの」という言葉が印象深い。現代において、ことさらに「科学コミュニケーション」の重要性を唱えなければならないとすれば、それは、とりもなおさず「科学コミュニケーション」が科学の営みから失われてきたことの証左なのだろうか?だとすれば、それは何故なのだろうか?