サイエンティストからサイエンスライターへ

今回難波がこの年会に出席したのは、アメリカでのサイエンスライティング教育とそれをキャリアにどう結び付けているのかを取材する目的だった。学会とプレスがどう結びついているのかも知りたかった。
リーン先生の話によれば、サイエンスライティングや、サイエンスジャーナリズムの勉強をした人の進路としては、PR(パブリックリレーションズ)が有望であるとのこと(「だって、ジャーナリストはお金にならないでしょ」と笑っていた)。大学やカレッジのこういう学科を出た人は、PR会社(日本で言えば広告代理店)に入って、そこで実績を積む。自分のやりたい(書きたい)仕事をやらせてくれる会社がなければ、独立して企業のコンサルタントをしながら、社会に科学技術を発信していく。これは一つの進路になりうると思う。実際、難波はフリーライターのときに、医薬系企業のコンサルタントやPRをしている会社の新規事業発進時に、お手伝いをさせていただいていた。
昨日出席したワークショップでは、理系でPh.Dをとった後に、サイエンスライターやエディターとして仕事をしている人3人の話を聞いた。このような進路をとる人にこそ、このAAASの年会は、役に立っている。彼らは理系で学位をとったあと(とりながら)、ジャーナリズム系のコースの奨学金を取って勉強し、その後、出版社などに就職している。アメリカは学歴社会というのもよく言われるが、つまり、○○フェローシップなどの奨学金をとっていることがその人の評価につながり、企業からお声がかかるのだ。実際に、昨日出席したプレスレセプションでも、MITに設置されている「Knight Science Journalism Fellowships」の学生さんは大きな缶バッジをつけて出席していて、その1人に、どこかの会社のエディターが「オーストラリア人の学生が同期にいないかい?いたら紹介してくれよ」と声を掛けていた。
日本では、ジャーナリストは、もっぱら企業が育てている。しかしほんとにそれで、社会全体の役に立つ偏りの少ないジャーナリストが育てられるのだろうか。そもそも企業は、新入社員を採る段階で「社風に合う」人材を採用する。マスコミの採用試験を数多く受けてみればわかるが、受験者が多いため、何回も面接がある。採用する側の面接官も数多くの社員が参加するのだが、面接官には採用基準が徹底されているわけではない。なんとなく気に入った人に丸をつけて、多数決で面接の合否が決まっていく。言い過ぎかもしれないが、この採用方法は、仲良しクラブへの勧誘というようなものではないだろうか。それに対して、ある奨学金の受給者に選ばれて勉強している人を採るという方法では、奨学金を出している団体が選んだ人や、そこが教育を託している大学の教育を受けた人が採用されていくということになる。今後、私達の社会は、自分たちに必要なジャーナリストを作るために、どのような教育を行い、どのような採用活動が行われてほしいと考えるのか。大学でサイエンスライティング教育が行われ始めた今が、考え時ではないか。
そして文部科学省も、大学にジャーナリズムやライティングの教育機関をいくつも設置するのであれば、その修了生と企業のマッチングの場を提供することも考えなくてはいけないのではないだろうか。AAASは学生たちが企業や研究機関とのお見合いの場所を提供しているとも言える。やはり日本にも社会と科学の関わりを人間どうしのミーティングという形で具現化するAAASの年会のようなものが必要だと思う。(難波)