AAASに出席する意義

 リーン先生が教えてくれように、参加者の多くは出会いを求めてこの年会に来ている(特に、学生とプレス登録者たち)。会場のあちこちで見かける立ち話こそが、大事だとリーン先生もおっしゃっていた。昨日は、ミーティングが終わった後、教育的アウトリーチ活動のコーディネーターという女性が、アメリカのサイエンスカフェの情報を集めているというので、資料を見せてとお願いすると、その辺にある手ごろな広さの腰掛に、持っている資料をきれいに並べ始めた。カフェの資料はポスターなどが多いので、並べていると、
人が集ってくる。集ってきたみんなで、わいわいがやがや雑談が始まる。こういうさりげないプレゼンテーションの方法は、日本の教育で教えられた記憶がないが、欧米の帰国子女や留学経験者はうまいなと、これまでも感じていた。
さて、このようなアメリカ人によるアメリカのための会議に日本人が出席する意義はあるだろうか。
全部を見られたわけではないが、ミーティングの中で、会場からあふれるほどの人を集めて一番人気なのは、evolutionと科学教育の問題を扱ったシンポジウムのようだ。プレスバッジをつけている人が結集してきていた。
こういう席に、様々な主張を持ったNPOの代表が出てきて、自分たちが作っている教科書や活動の宣伝を一生懸命している。(様々な主張と言っても、さすがにAAASの年会なので、人間は神がおつくりになったというのではなく、進化をきちんと教えようという立場の人たちである)
アメリカの科学界で何がホットな話題なのか。アメリカ人は社会に役立つ科学とはなんだと考えているのか知るのに、この学会に参加するのはよい機会だと思う。
それだけではなく、情報を共有するために、この学会に出て自分たちの活動を宣伝することに意義があると思う(こちらもやっていることを話せば、昨日のダラスさんとの立ち話のように一緒にサイトを作って情報を共有しようという仲間もできてくる)。
昨日のブログにプレスのレセプションに日本人は見かけなかったと書いたが、残念ながらそのほかの国からの参加者の出席状況については、よくわからなかった。(学生さんはいろんな国から来ていた)。しかし、ヨーロッパとカナダは、それぞれ徒党を組んでこの学会に参加してきている。プレスルームの前の資料コーナーには、カナダコーナーとEUコーナーができていた。
AAASのようなミーティングに、「日本は社会と科学の関わりをこのように捕らえています」という意思表明をするためにも、日本の様々な活動(大学、研究機関、NPO)が参加するのをアシストする機関があってもいいのではないかと考えていたら、そんなことを目論んでいるという人が日本から来ていた。JSTに科学コミュニケーションのハブとなるような機関ができるそうだ。こういう機関には、海外の会議で日本人は大人しいといわれないために雄弁な(有言、無言の)プレゼンテーションができるようにアシストしてほしいと思う。