お誕生日おめでとう

実は、今日はCoSTEPの開講記念日でした。


2年前の10月1日、私たちスタッフがやっと全員そろって、もう、ほんとに、期待と不安でいっぱいになりながら、開講式をやりました。
前日のどたばたについては、『しゃりばり』という雑誌に記事を書きました。
それから1年間、「コミュニケーター虎の穴」という連載をやらせていただきました。そのしゃりばりも、ついにメールマガジンになってしまいました。


2年は、短いようで長かった。
私たちは毎年、受講生の皆さんの声に真摯に耳を傾け、
カリキュラムの改善を行ってきました。


教育に携わるのが初めてのスタッフも多く、最初の頃の授業は、
他の教員に立ち会ってもらってのリハーサルをして望んでいました。


我々の伝えようとしていることが、科学コミュニケーションなのか。
そのことを常に自分たちに問いかける最初の年でした。


2年目は、本科生の数が倍増して、
一年目が「勢い」だったとすると「洗練」という言葉がぴったりかなと思います。
新しく始まったe-Learningで学ぶ選科生の皆さんに、どう学びを充実してもらうか模索したのも2年目でした。


3年目のカリキュラムを作るために、ほぼ半年間、毎週数時間のミーティングの時間を設け、そのほか、個別のワーキンググループも作って議論を重ねました。

そして始まった3年目。
今年はサイエンス・ショップに類するプロジェクト実習にチャレンジしています。

今、学んでいただいている3期生の皆さんに、充実した学びを提供できているでしょうか。
我々はもう、科学コミュニケーションが何かには悩んでいません。
我々の取り組みすべてが少なくとも日本における科学コミュニケーションの実践教育に
常に新しい何かを提案するものであるとの自負があります。

今日、私は2年前の開講式の日、緊張の面持ちでいた仲間と、
どんな言葉を交わしたかを思い出していました。
どのスタッフがいなくても、今のコーステップはありません。


この2年間に感謝を込めて、そして、まだまだ一緒にチャレンジしていこうという期待を込めて、CoSTEPを支えてくれているすべての皆さんに、お誕生日おめでとう。


長くなりますが、2年前に書いた「虎の穴」第一号の記事を掲載します。
主な読者が中小企業の社長さんと聞いて、「プロジェクトX」を意識して書いてみたのです。なつかしー。

科学技術コミュニケーター虎の穴


連載のはじめに
 第3世代携帯電話、ハイビジョン、地上波デジタル、遺伝子組み換え作物、LG21、IHクッキングヒーター、私たちの生活には、恐ろしいほどの速さで科学技術の成果が入り込んでくる。しかし、何がどう新しいのか、安全性はどうなのか、その結果社会はどう変化するのかなどなど、われわれは本当によく理解したうえでこれらの技術を受け入れているのだろうか。
 このような時代を迎え、専門家の知識を社会知として共有すると同時に、専門家に市民のニーズや不安を伝える「科学技術コミュニケーター」という新しいプロフェッショナルの養成に、北海道大学が名乗りをあげた。これに対して、平成17年度文部科学省科学技術振興調整費の中から「新興分野人材育成」として予算が下り、2005年7月、「北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(略称CoSTEP:コーステップ)」が誕生した。
 CoSTEPは、北海道・札幌という「地域に密着」したテーマを課題に取り上げ、専門家と市民の「双方向性」を大切にし、自ら「参加型」のコミュニケーションの「場を創出」できるコミュニケーターの養成を教育目標に掲げている。この新しい教育機関で、何が行われ、どんな人材を輩出することになるのか。CoSTEPの専任教員として全国から集ったのは、元NHK記者、科学館のディレクター、参加型手法の研究者など。多彩な顔ぶれだ。この連載を発信する難波も、6月までは、科学図書の企画編集や医療記事の執筆を行うフリーランサーだった。北大にいるさまざまな分野の教員18名も、積極的な協力を申し出てくれた。これらの教員と、札幌を中心に全国から集った受講生が交じり合い、どのような反応が起こるのか。これまでの大学にない、新しい実践的な教育の試み、「プロジェクトCoSTEP」を北海道のみなさんにお伝えしていきたい。


第一回 人智はハイテクを超える

各界からの熱い期待
 難波美帆が千歳に戻ってきたのは、午後8時をまわっていた。明日はいよいよCoSTEPの開講式というのに、前々日から難波は、東京、神奈川を駆け回っていた。北大の研究室で待機していたのは、元NHK記者の隈本邦彦、国立天文台出身の研究者佐藤祐介。難波が持ち帰るはずのビデオ録画を、今や遅しと待っていた。
 子どもの理科離れ、国民の科学リテラシー(基礎的な知識)の不足が国などの調査で指摘され、今、全国の高等教育機関で、「科学技術コミュニケーター」なる役割を果たす人材の育成が始まっている。中でも、北大、東大、早稲田のプログラムは有望として科学技術振興調整費という大きな予算を獲得し、本年度からプロジェクトが動き出した。
 「科学技術コミュニケーターとは何なのか」。全国に先駆けてこの新興分野人材育成をスタートする北海道大学は、発足時から研究者・教育者の注目を集めていた。「道内外から集る43名の受講生に、その期待の大きさを肌身で感じてほしい」。CoSTEP代表杉山滋郎は、すでに科学技術コミュニケーションの分野で活躍をしている方たちからのメッセージをいただき、自分の思いを伝えることにした。
 杉山の思いに応えてくれたのは、いずれも科学技術コミュニケーターとして活躍する5名。生物学からは世界ヒトゲノムプロジェクトの会長も勤めた理化学研究所ゲノム科学総合研究センター長・榊佳之氏、物理学からは高エネルギー加速研究機構長・戸塚洋二氏、毎日新聞科学環境部・元村有希子記者、NHK科学番組「サイエンスZERO」ナビゲーター・眞鍋かおり氏、同・熊倉悟アナウンサーだった。
 このうち、戸塚氏は自作のビデオレターを送ってきてくれることになったが、元村氏、榊氏は撮影者の手配がつかず。サイエンスZEROの二人は、隈本がスケジュール調整をするも、わずかな時間がとれるのは開講式の前日のみ。NHKのスタッフが撮影してくれたとしても、翌日にテープが間に合わない。残り4名のメッセージは、ちょうど東京出張が重なる難波が撮影しに行くことになった。
 9月29日、理化学研究所を訪問。榊氏の朝一番のアポイントをいただき、念のため、計3回の収録に応じていただく。榊氏の傍らには、研究テーマでもあるチンパンジーのぬいぐるみ。常に次の来客が後ろに待っているような多忙を極める榊氏だが、収録の後に控えていたのはまだ若い学生だった。世界的な研究者でありながら、歩き出したばかりの研究者の指導も怠らない。難波は、退官記念講演会のときに握手した、榊氏の厚みある手のぬくもりを思い出した。
 同日午後、仕事の合間に都心にある毎日新聞本社を訪問。累計100万アクセスを越す超人気ブログの書き手でもある、理系のマドンナ元村記者を訪問。元村氏は今年、スペースシャトルの打ち上げ取材も担当していた。シャトルの打ち上げは何度も予定が変更され、元村記者の滞在は1カ月以上に及んだ。交代要員が来るでもなく、時差がある日本の新聞に記事を間に合わせるために、まさに不眠不休の取材・執筆。シャトルの発着場所が変わるといえば、自分で交通手段を確保し、移動しなければならない。ブログでダイナミックな仕事ぶりを読んでいる読者が、小柄で華奢な元村氏の姿を見たら、きっと驚くだろう。元村氏からは「受講生の皆さん、一緒にがんばりましょう」のエールをいただいた。
 翌30日午後5時。番組収録前のわずかな時間をお借りして、NHKスタジオの片隅でサイエンスZEROのお二人を収録。隈本の元同僚たちが難波持参の家庭用ビデオカメラをまわしてくれた。眞鍋・熊倉両氏のコメントはさすがプロのテンション。4名すべてのコメントを無事撮り終わった。この取材をアレンジしてくれた隈本の同僚が迷路のように巨大なNHKの建物を案内し、渋谷行きのバス停まで見送ってくれた。千歳便は6時50分羽田を離陸。札幌では、隈本と佐藤が録画テープの編集のためにスタンバイしている。「一刻も早くこのテープを届け、万全の準備で開講式を迎えたい」。札幌駅から北大まで、難波はタクシーを飛ばした。

科学技術コネクター
 難波が持ち帰ったデジタルビデオカメラの映像を、コンピュータに取り込んで編集するつもりだった。NHK記者として25年テレビの世界で生きてきた隈本は、30分もあれば片づく仕事と高をくくっていた。
 隈本と佐藤の研究室には計3台のパソコンがあった。しかし、ビデオ編集ソフトがインストールされているのはMac1台。ところが、佐藤の私物のこのパソコンに、撮影してきた映像が入りきらなかった。ハードディスクの容量が小さすぎたのだ。Macのソフトは、他の2台(Windows)のマシンでは使えない。なんとなく、雲ゆきが怪しくなり始めた。
 次に隈本が考えたのは、ビデオカメラを2台つなぐことだった。CoSTEPでは、実習授業のために、2台のビデオカメラを購入していた。ところが、ビデオカメラに付属しているケーブルは、ビデオカメラ同士の接続は想定されていない。ビデオデッキやパソコン、テレビなどに接続することはあっても、カメラ同士を接続する人はいないのだろう。カメラ同士を接続できるケーブルはないものか。若い佐藤がヨドバシカメラに走ろうと腰を上げた。しかし、時刻はすでに10時をまわり、店は閉まっている。
 次なるアイデアは、ハードディスクレコーダーに落として編集しようというものだった。が、そこにいる誰も、ハードディスクレコーダーを持っていなかった。その時間も動いている理学部内の研究室を訪ね歩くも、誰も持っていない。CoSTEPの他のスタッフに電話をかけても誰も持っていない。万事休すかと思われた。
 そのとき隈本の脳裏に浮かんだのが、「みのむしクリップ」だった。はんだ付けが趣味の隈本は、研究室に工具箱を持ち込んでいた。着任直後で、まだダンボール箱に入ったままの工具箱をまさぐってみると、中から一束のみのむしクリップが出てきた。はるか昔、コンピュータとプリンターをつなぐためのコードが手に入らず、みのむしクリップ20本を使って接続を試みたことがあった。
 2台のビデオカメラから出た3本のプラグ。音声が2本と映像が1本その先端にはそれぞれ、プラスとマイナスがある。それを6本のみのむしクリップで順につないでいった。
 「最新のデジタル機器だろうがなんだろうが、やり取りされるのが電気信号である以上、物理的につないでしまえばつながる違いない」
 隈本はそう信じていた。
 録画したテープを入れたほうの再生ボタンを押した。もう1台のカメラのモニターに理化学研究所の建物が写った。隈本の読みがあたった瞬間、難波はキツネにつままれたようだった。科学技術はなんとシンプルで原理に忠実なのだろう!電気信号は電線があれば伝わっていくのだ。その瞬間、紀元前600年に静電気を発見したターレスから、クーロン、アンペールを経て、ソニーまでがバトンを手渡すようにつながってきたことに思い至った。初めて電灯をともしたときのエジソンの気持ちもかくやという感動だった。幸いなことに、編集側のカメラにはコマ送り機能がついており、微妙なカットの編集も、その2台のカメラで完成することができた。難波が到着してから、3時間。開講式の準備がすべて整ったのは、深夜12時半を回ったころだった。

CoSTEP開講
 北大理学部大講堂で行われた開講式は、総長、文部科学省の担当官も出席し、盛大なものとなった。通常、総長の祝辞や式辞ともなると、事前に原稿が用意される。お招きする側のわれわれスタッフも慣例にのっとり、祝辞原稿を用意してお渡ししてあったのだが、我らが北大総長は、会場で式進行中にさらさらとメモを取り、受講生の顔を見てその場にふさわしいスピーチをおこなってくださった。
 途中、杉山代表のキック・オフ・スピーチのためのパワーポイントの資料が、パソコンの接続がうまくいかず始められないというハプニングがあったが、機器の調整をしている時間は理学部生物学科の助教授が即興のトークで会場を沸かせた。
 「ハイテクがトラブったときには、人力で補う。そこに人類の知恵がある。人知を結集するのが、北大CoSTEPなのだ」(隈本談)
 昨夜のどたばたを経験した隈本以下3人にとっては、ハイテクに惑わされず、みのむしクリップを思いつく基礎的な科学技術リテラシーと、それを実際につないでみる行動力の大切さを今一度教訓として思い出させる出来事だった。
 開講式に引き続いて、心ばかりのお菓子やワインが供されたウェルカムパーティーは、くつろいだ雰囲気で、初対面の受講生たちが活発にコミュニケーションする姿が見られた。
その日のうちに受講生たちが意見交換するメーリングリストが作られ、程なくソーシャル・ネットワーク・サイトと呼ばれるインターネット上のコミュニケーションサイトで、CoSTEPのコミュニティーも作られた。
 科学技術コミュニケーターとして活躍したいという電荷を帯びた受講生たちが集い活動を始めたことにより、CoSTEPに磁場が発生し、それが受講生たちに相互に作用しあい、これから予想を超える光を発したり、電磁波を発したりするのではないか。昨夜の興奮冷めやらぬ難波は、そんな思いでウェルカムパーティーを眺めていた。

開講から1週間
 幕が切って落とされた後、第1回「サイエンス・カフェ札幌」までは、怒涛の1週間だった。地域密着をうたうCoSTEPの活動の核になるサイエンス・カフェ札幌は、コーヒーなどの飲み物を片手に市民と専門家がリラックスして科学について語り合おうというイベント。これについては、次回以降、あらためて触れたいと思う。
 最初の授業は10月5日だった。CoSTEPの受講生は23歳から59歳まで。社会人を受け入れているので、基本的には平日水曜日の夜と、土曜日の午後に授業が行われる。この日、最初の講義を担当したのは代表杉山。NHKのテレビ取材が入った。地元NHK札幌放送局の広瀬靖浩アナウンサーは、開講式からCoSTEPの取材に入っていた。広瀬アナは、CoSTEPの市民を巻き込んだコミュニケーション活動に注目したのだった。この日は北海道新聞にも、サイエンス・カフェの紹介記事が掲載された。この記事を書いてくれた道新札幌圏版の寺町志保記者もまた、CoSTEPの趣旨を理解し、正確な情報を伝えてくれた。地域に役立つ科学技術コミュニケーターの養成のために、これからも札幌市民の顔をよく知る地元マスメディアの協力を仰ぎたい。
 10月6日には、第一回サイエンス・カフェを共催してくれた、通称「天プラ」(天文学プラネタリウム)の学生さんたちが、天文学会の年会に参加するために続々と札幌入り。
代表の高梨直紘さんがサイエンス・カフェの前夜祭として行った、レストラン「みんたる」(北14西3)での天文学の夕べでは、店内満員となり、深夜まで対話と天体観測が続いた。
 そしていよいよ迎えた、第1回サイエンス・カフェ札幌。紀伊國屋書店札幌本店1階インナーガーデンが人でごったがえし、日本ではまだ珍しいこのイベントをCoSTEPが大成功させたというニュースが、その日のうちに数々のメーリングリストやブログで報じられることとなった。
 札幌市民は科学に飢えていた!?
 次回、この話から、お伝えしたい。
北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット・特任助教授/サイエンスライター